
車のことを、母親が「カー」、父親が「ぶーぶー」と教えた結果、「ぶーてぃかー」という新しい単語を爆誕させました。どうも、ひつじぃです。
なんで勉強しなきゃいけないの?
義務教育というものがあり、社会に「人間を測る基準」のひとつとして「学力」がある以上、「勉強」は必要です。
一方、子どもたちが「なんで勉強しなきゃいけないの?」と疑問を持つのも納得です。小学生に上がったら急に勉強を強制される。子どもたちからしたら、とても理不尽です。
ですが、子どもたちが聞いてきてくれた時、私は「チャンス到来!!」と思っています。
「勉強をさせられる」という理不尽に対して納得のいく理由が生まれた時、その後の人生の大きな力となると考えています。
では、どう答えましょうか。

みんなは納得して勉強してた?
勉強の理由はそれぞれ
実際に、子どもたちに聞いてみました。
「分からない」「将来のため」「世界を良くするため」…いい答えが沢山返ってきました。
理由に決まった正解なんてありませんよね。
しかし完全には納得できていない様子。「どう将来のためになるのか」「どう世界のためになるのか」、ちょっと意地悪な気もしますが…聞いてみると「う~ん…」と考え込んでしまいました。
さて、ここからが大人の出番ですね。
ひつじぃの考える「勉強した方がいい理由」をお伝えしたいと思います。
「ラクに生きるため」に勉強をしよう
一つ質問をします。
「小学校の上履き袋、給食袋、あれ誰が作ったんだろう?」
中には本人が作ったという子もいましたが、大体は「お家の人」でした。
そこでもう一つ質問です。
「お家の人が裁縫が苦手だったら、どうしよう?」
「他の人に作ってもらう!」「買う!」という答えが返ってきました。
そうですね、買った方がいいですよね。
ということは、です。
良いものを作ったら売れるのでは?
今の世の中、個人が製品を作成し、簡単に効果的に売ることができる時代です。
そのためにはスキルが必要です。「裁縫」「加工」「プログラミング」…。アイコン作成であれば「算数・数学」、執筆であれば「国語」のスキルもあるとより良いかも。
そしてこれらのスキルですが、全て学校やお家で学べます。無料で学べてしまうんです。
勉強を通じて、自分らしい生き方を探そう
こんなお話をすると拒否感を感じてしまう人もいるかもしれませんが、生きるにはお金が必要です。
そして「お金を稼ぐための授業」は、日本では基本行われていません。
これが、勉強を理不尽と感じやすい一つの理由なのではないかと考えています。
勉強を「自分らしくお金を稼ぎ、ラクに生きるスキルを身につける」と考えると、子どもたちの世界は広がります。
何故かというと、子どもたちは「会社に所属してツラい仕事を毎日するしかない」と考えていることがとても多いからです。(「ツラい大人観・楽しい大人観」に関しては、後日別記事にて!)
仕事だけが将来ではありませんが、自分の将来の可能性と今向き合っている「勉強」が結びついた時、子どもたちの顔は一気に明るくなります。
RPGゲームで考えてみてください。
主人公がレベルアップして強くなると分かっているから、楽しいんですよね。
戦いを繰り返してもレベルアップしない、レベルアップするかどうかも分からないのにどんどん敵は強くなっていく。そんなゲームはできればやりたくないですが、「なんで勉強しなきゃいけないの?」と疑問を投げかけてくれる子は、まさにこの戦いの中にいるのです。
その時、「この戦いで、君は必ず強くなれる。そして強くなったらこんなことができるようになる」と伝えてくれる人がいたら、戦い(勉強)の見方や意味が変わってくるとは思いませんか。
残念ながら学校では「なんで勉強しなきゃいけないの?」の答えは、なかなか教えてもらえません。
ですが、義務教育の目的の一つは「他国に負けない技術力をつけるため」です。要は国だって子どもたちにお金を稼いで欲しいのです。
見方を変えれば、学校では「ほら、将来の可能性を沢山用意してやるから、好きなの選べよ」とまるでホテルのバイキングのように、おいしい知識・技術を提供してくれるのです。タダで。
人には得意不得意・才能の方向があります。その中でとびきり「おいしい」と思う知識・技術を吸収しましょう。(才能の見つけ方について、苦手な教科との付き合い方に関しては、後日別記事にて!)
さて、今日はどんなおいしいものを食べに行きましょうか?
コメント